心と体

2017年4月25日 (火)

ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(2)

ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸は2014年に小日向一丁目東遺跡から出土した。

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マンション建設に伴う発掘調査が行われた場所は、1646年から1724年にかけて切支丹屋敷があった場所の一角である。シドッチ神父は1709年から1714年までここに幽閉され、最後は1714年旧暦10月21日に地下牢で衰弱死したと言われている。

調査によって、発掘場所の北西の角付近に東西に並んだ三つの埋葬遺構(お墓)が見つかった。シドッチ神父の遺構が真ん中で、それを二つの遺構が挟む形である。真中の遺骸は、長持ちのような長くて大きな入れ物に体を伸ばした状態で埋葬してあり、西隣は桶を用いた屈葬、東隣は櫃などを用いて体を伸ばした状態であった。遺構の深さは3つ共に同じ深さであり、ほぼ同時期に埋葬されたことをうかがわせる。

出土した骨と歯の科学的な鑑定の結果、真ん中の遺構の人骨は身長170センチ台、現代ヨーロッパ人の中でもトスカーナのイタリア人のゲノムによく似ていることが判明。両隣の人物の切歯からは日本人に見られる特徴をもち、東アジアの集団に共通するDNAが見つかった。これらから、中央の遺骸はイタリア・シチリア生れのシドッチ神父、両側が彼から洗礼を授けられ、後にそれが発覚したために神父と共に地下牢で獄死した世話役の長助とはるであろうとの結論に達している。

切支丹禁教下にあっても、なお隠れて生き延びるキリスト教信者を司牧するため、;">シドッチ神父は命をかけて1708年10月11日にマニラから屋久島に上陸した。上陸後は直ぐに逮捕監禁され、新井白石による尋問を受けたことはよく知られている。シドッチ神父と白石はお互いの知性に共感し、尊敬したと言われている。

切支丹屋敷では宣教司牧というカトリック神父本来の活動を行わない限り、キリスト教徒の身のまま屋敷内で比較的自由な生活を許されたが、世話人の夫婦・長助とはるに洗礼を授けた罪で、最後は屋敷内の地下牢に監禁され、そこで死ぬことになる。

彼らカトリック信者がいなくなった後、いったい誰が身長に見合った長い長持ちのような器物に体を伸ばしたまま埋葬する西欧的なやり方を指示したのだろうか。西洋式のことが分からなければ、当時の丁重な埋葬は棺桶の中に遺体を屈葬する仕方である。さらに、シドッチ神父を守るように二人の信者が両脇に埋葬するような計らいも、誰かの指示によるものと思わざるを得ない。

切支丹屋敷にはすでにキリスト教徒が誰もいないにも拘らず、キリスト教式な埋葬を含む、丁寧な埋葬が行われたのはどうしてなのだろうか。三人とも罪人であることから、当時の慣習ではこのような埋葬は考えにくい。

命を懸けて司牧のために日本に渡り、逮捕され、世話人に洗礼を授け、獄中で死んだジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸がこの地上に存在し、それは調査によって本人であることが科学的にかなりの確率で証明されている。こんなことがあり得るのだろうか。何とも不思議なことである。カトリック信者として帰天したジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸を、日本のカトリック教団は身元引受人として丁重に受け入れてもらいたい。

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ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(1)

国立科学博物館の研究施設と標本収蔵施設は、上野と白銀台にある展示施設とは別に、つくば市の研究学園都市の一角にある。毎年この時期、つくばの研究施設ではオープンラボを開催して一般に開放している。今年は4月22日に開催された。

植物研究部、地学研究部、動物研究部、人類研究部、理工学研究部など、いろいろな部門の研究室や収蔵庫を研究者たちが総出で紹介してくれる、年に一度のイベントだ。

研究紹介スペシャルトークという企画の中に、今回特に興味をひかれた題目があった。それは人類学研究部・坂上和弘さんによる「江戸の宣教師シドッチ神父について」(12:30~13:00)である。そのスペシャルトークを拝聴しに出かけた。

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シドッチ神父が日本に遺したもので有名なものは、上記の写真に示す東京国立博物館が所蔵する「親指のマリア」だ。薄い銅板に油絵の具で描かれ、大きさが縦約26センチ、横約21センチの小さな絵だ。銅板の油絵は持ち運びに便利であるため、大航海時代に沢山制作され、宣教師と共に世界各地に運ばれている。「親指のマリア」の他に東京大学が所蔵する「救世主像」も銅板に描かれた油絵だ。

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「親指のマリア」は、シドッチ神父の尋問にあたった新井白石が著した「西洋紀聞」の中に、シドッチ神父との対話から聞き出した諸外国のさまざまな知識と共に、図入りで紹介されている。

目黒区の碑文谷にある碑文谷教会、通称サレジオ教会は、『江戸のサンタマリア』にささげられた教会だ。江戸のサンタマリアとは日本に上陸するとすぐに捕縛され、江戸茗荷谷にあった切支丹屋敷に生涯幽閉されたシドッチ神父が携帯していた「親指のマリア」のことだ。1954年に、西洋紀聞の差し絵をヒントに製作された当時の形を模した額縁が碑文谷教会から東京国立博物館に寄贈されている。

2016年12月12日 (月)

四人目の博士

我家のプレセピオには東方の博士が揃っていないと申し上げました。普通は三人の博士ですが、我が家のプレセピオは二人の博士です。でもこの他に四人目の博士がいるのを皆さんはご存知ですか。

それについて書かれたブログ記事を引用したいと思います。

Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~ 気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)』(2009年12月24日 | 人生覚書き)より(http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f513b1b7f2eb3d85963b5b356b8c57e3

イエス聖誕の際、東方の三博士がやって来て贈り物を捧げ、イエスを拝したという。(マタイ2:1~12)

この「博士」あるいは「賢者」と訳される「マーゴイ」(ギリシャ語:μάγοι、マギ)の原義は天文学者で、英語の「magic」(魔術)の語源となった言葉である。

聖書には東方から来た博士の人数は書かれていないが、「三人」とするのは黄金・乳香・没薬の3つの贈り物からとされ、それぞれ王権、神性、そして将来の受難である死を象徴するという。

西洋では7世紀からメルキオール、バルタザール、キャスパーの名がこの三博士に当てられている。(わかる人にはわかるネタ・・)

青年の姿の賢者・メルキオールが黄金を、壮年の姿の賢者・バルタザールが乳香を、老人の姿の賢者・キャスパーが没薬を贈ったとされる。

 

さて、それでは四人目の博士の話・・。

 

 

 

ペルシアのエクバタニアという町にアルタバンという男がいた。

彼はマギと呼ばれたゾロアスター教の学者のひとりであった。

ゾロアスター教徒は天文学者であり、善と光の探究者であり、信仰者であった。

アルタバンは仲間のマギに言った。

もうすぐ三人の博士たちと合流し、イスラエルに王として生まれると約束されたお方に会いに行くと。

持っているものを全て売り払い、アルタバンは三つの宝石を買った。

サファイア、ルビー、真珠であった。

それらを王様にお捧げするのだという。

そうしてアルタバンの旅は始まった。

ニムロデの丘で三博士と会い、七つの天球の寺院へ行くまで、あと10日しかない。

しかし、寺院の近くまで来た時、道に横たわって死にかけている男に出くわした。

アルタバンは男に水をあげて介抱すべきか、三博士たちに会うために急ぐべきかと考えた。

マギたちは、天文学者であると同時に医者であったため、アルタバンは足をとめた。

何時間もの間、病を治すことのできる腕のいい癒し人だけができる治療を行い、ついに、男は力を取り戻した。

アルタバンが急いで寺院に着いた時には、友の博士たちは既に去った後だった。

彼は仕方なくサファイアを売り、ラクダの列と食料を買って旅をすることにした。

彼がベツレヘムに着いた時、それはちょうどヘロデ王の兵士たちがベツレヘムの男子の赤ん坊を皆殺しにしていた時だった。

ある家のドアが開いていて、アルタバンには母親が子供に子守唄を歌うのが聞こえた。

その母親は、ベツレヘムに三人の博士が来てから今日で三日だという。

博士たちはヨセフとマリアと赤ん坊を探し出し、贈り物を足元に置いたそうだ。 そして、来た時と同じように不思議に姿を消したと。

ヨセフはその夜、マリアと赤ん坊を連れてひそかに逃げた。

それは遠く、エジプトへ・・とささやいた その時、突然、外で何か騒ぎが起こった。

女たちが叫んでいた。

「ヘロデ王の兵隊が子供たちを殺している!」と絶叫する声。

アルタバンが外に出ると兵隊が血の滴る剣と血まみれの手で、こちらへなだれ込んでくるではないか。

隊長がこの家に差し掛かると、アルタバンが彼を止めた。

そして、ルビーをやるからこの親子を見逃してくれと頼んだ。

その後、アルタバンは、さらに王を探すためエジプトへ行き、この一足先にベツレヘムを去った小さな家族の行き先を探して回った。

33年の間、アルタバンは王を探し続けた。

その間、貧しい人々や病んでいる人々を助けた。

そして、ついに過ぎ越しの祭りの季節がくると、エルサレムに着いた。

エルサレムでは大きな暴動が起こっていた。

突然、兵士に引きずられてきた奴隷の少女が兵士から逃げ、アルタバンの足元に投げ出された。

最後の宝石、真珠を取り出し、彼は少女に渡した。

「これを手切れ金に。娘さん!これは、王にささげるためにもっていた最後の宝石だ」 アルタバンがそう言っているとき、大きな地震が起こった。

屋根瓦が彼を直撃した。

アルタバンは、死が近いことを知った。

もう王を探すことができない。

王を探す旅は終わりをつげ、彼は約束を遂げられなかったのだ。

手切れ金で自由になった少女が、この死にかけの老人を抱きかかえると、優しい声が聞こえ、アルタバンの唇がかすかに動くのが見えた。

「ああ、主よ。お会いしたいとお探ししましたが、お許しください。贈り物をお持ちしたかったのですが、今は何もありません」

「アルタバン、おまえは既にわたしに贈り物をくれたのだよ」

「神よ、どういうことですか・・?」

しかし、はっきりとした声がまた聞こえ、少女はそれを聞いた。

「私が飢えていた時、おまえは食べ物をくれた。

私が渇いているとき、おまえは飲み物をくれた。

裸でいた時、着るものをくれた。

家がなかった時、おまえは私を家に通してくれた」

「いいえ、そうではありません、救い主よ。

あなたが空腹だったところ、渇いたところを見たことがありません。

服を着せて差し上げたことも、家にお招きしたこともありません。

33年間、あなたを探し続けましたが、お顔を見ることも、お世話することもありませんでした。

わが王よ、お会いしたのは今が初めてです」

「いつでも、もっとも小さき私の兄弟たちにしてくれたことは、私にしてくれたのと同じなのだよ」

「聞こえたかい?イエスさまがおっしゃるのを。

王様を探しだしたんだ。

王様を見つけたんだ。 そして私の贈り物全てを受け取られたのだよ」

長い、安堵の息が、アルタバンの唇から静かにもれた。

彼の旅が終わった。

彼の宝物は受け取られた。

もうひとりの第四の賢者が王を見出したのだ。

王はこう言われる。

「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25:40)

2016年9月25日 (日)

小野博柳さん

1998年4月、私は国立歴史民俗博物館から東京国立博物館へと職場を変えた。

14年間の歴博生活で培った研究成果を、是非とも国立博物館での活動に応用してみたかった。当時の私にすれば、その歴史の古さと組織の大きさから東博は何か得体が分からない巨大な密林のような印象に映っていた。

博物館での保存活動を軌道に乗せるために、何から手を付ければよいのか、直ぐにはわからない。なにぶんにもそれまで東博には縁もゆかりもない身の上である。

そんな状況の中でお会いした方が刀剣研磨師・小野博柳さんである。本館の地階の薄暗い部屋で黙々と刀剣研磨の作業を続けている人だ。職員ですら、ごく限られた人しかその作業場所には入ったことがなく、一見すると人の出入りを拒んでいるようにも見えた。

そんな中、いわゆる常識や慣習でものを考えないようにして、ずけずけとその部屋にお邪魔してみた。ご本人と話をすると、文化財としての刀剣研磨にかける思いがひしひしと伝わってくる。「僕らの仕事は磨によって刀を減らすことではない。先輩の磨を尊重し、文化財として相応しい状態の刀を維持することだ」と。

僕が、ゆくゆくはこの作業風景を館内職員はもとより、一般の来館者にも見ていただき、技術の継承や文化財保存の実態を知ってもらいたいと、怒鳴られるのを覚悟で小野さんに持ち掛けた。すると、小野さんからは意外な反応が返ってきた。

「私たちもこの仕事をもっと知ってもらいたいと思っている。決して神聖な場所でも、非公開な作業だなどとは露にも思っていない」と。それの日以来、小野さんとは息が合った。僕は勝手に同志だと思っている。

東博に千本弱の日本刀剣が収蔵されている。その維持管理には大変な労力を要する。手入れと言われる定期的な保守点検作業(メンテナンス)、そして必要最小限の磨継と呼ばれる研磨と白鞘の修理。これ等の作業を滞ることなく、日々流れるように進めていかなくてはならない。

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その仕組みづくりに小野さんは尽力くださった。その小野さんが今月亡くなった。心からご冥福を祈ります。


2016年9月12日 (月)

夏の景色

箱根の森でひっそりと咲くアジサイ

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快晴の象潟
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小川が流れる八幡平の森
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森の中の家
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ゆめ牧場のヒマワリ
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一寸早い収穫

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白老のチセ
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ポロト湖に沈む夕日
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2016年5月30日 (月)

2016年5月配信 医の散歩道

2016年5月配信 『医の散歩道』(http://www.honyakucenter.jp/walk/walk_50th.html)で臨床保存学を取り上げてもらいました。

全人的アプローチで、文化財のQOLを考える。博物館の「よき臨床医」

第50回 「臨床保存学」の提唱者・神庭信幸さんを訪ねて

このサイトが医学関係と深い関係があることから「臨床」と言う言葉に強い関心を持っていただいたことがきっかけだろうと思います。

そして、もう一つ、医学の世界では、今最も大切な概念になりつつあるQOL(Quality Of Life)について。文化財のQOLについて、私として文字で初めて説明を試みました。文化財の世界に適用するのは、文化財が生物としての生命をもつものでないことから、これまで説明が難しいと感じていました。

今回の内容で、その概念がよりはっきりと私の中でも説明できるようになったかもしれません。

2016年2月 4日 (木)

東の野にかぎろいの立つ見えて

『東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ』

万葉集の中に収められた柿本人麻呂の歌として有名です。現代語に訳せば

『東の野の果てに曙光がさしそめて、振り返ると西の空には低く月が見えている』

ということです

今日2月4日は立春、昨日は節分。時間は次第に春へと向かって進んでいますが、季節は今がもっとも寒い時期です

先月1月26日の早朝、東の空を望むと、それまではまだ真っ暗だった空が少し明るくなっています

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振り返って西の空を見るとそこには大きな月が沈もうとしていました

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まさに人麻呂の歌どおりの光景です。この光景をみると春が近づいてきていることを実感します

2016年2月 1日 (月)

マザーテレサの言葉

カルカッタのマザーテレサ


いつが   もっとも素晴らしい日ですか        今日です

なにが   もっとも簡単なことですか         間違えることです

なにが   もっとも大きな障害となりますか      恐怖感です

なにが   おおきな過ちですか            あきらめることです

なにが   諸悪の根源となりますか         利己主義です

なにが   もっとも素晴らしい娯楽となりますか  労働です

なにが   悲惨な敗北となりますか          落胆することです

だれが   良い先生たちとなりますか        子供たちです

なにが   最初に必要なものですか         コミュニケーションです

なにが   もっとも幸せにしてくれますか       人々の役に立つことです

なにが   最大のミステリーですか           死です

なにが   最大の欠点ですか             不機嫌になることです

どんな   人が最も危険な人ですか         嘘をつく人です

なにが   もっとも卑劣な感情ですか         恨むことです

なにが   もっとも素晴らしい贈り物ですか     許すことです

なにが   必要不可欠なものですか         家庭です

なにが   もっとも近道ですか             正しい道です

なにが   もっとも心地よい気分ですか        心の平安です

なにが   もっとも効果的な防御ですか       微笑みです

なにが   より良い薬ですか              楽観的になることです

なにが   もっとも満足を得られますか        義務を果たすことです

なにが   世界で一番大きな力ですか        信じることです

だれが   もっとも必要な人たちですか        両親です

なにが   全ての中でもっとも素敵なものですか  愛(会い)です

 

2015年10月12日 (月)

磐梯山慧日寺資料館

福島県の磐梯山の麓に慧日寺(えにちじ)資料館がある。

慧日寺跡は、昭和45年国の史跡に指定されて以来、仏教文化発祥の地として、町民の関心も高まり、町をあげてその保護と保存に努めてきたところであります。 この史跡慧日寺跡については、昭和54年から実施いたしました「徳一廟」の保存修理につづき、昭和60年から発掘調査を行い、新たな遺構が発見され、慧日寺1200年の歴史が少しずつ解き明かされ、その姿が浮かび上がろうとしております。 当資料館は、史跡の環境整備事業と一体化し、慧日寺関連文化財の散逸破壊を防止し、その保存・公開・活用を目的として昭和62年8月に開館いたしました。 ささやかな資料館ではありますが、いささかなりとも、会津仏教文化の理解に役立ちますならば幸いです。(磐梯山慧日寺資料館HPより)

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ここで東京芸術大学教授の薮内佐斗司さんが『とくいつ芸術祭』を開催している。かつてここにあった慧日寺の本尊が薬師如来と考えられており、現在その復元が計画されているそうである。その復元に薮内さんが関わっていることから、これまで薮内さんたちが発表してこられた復元や現状の模刻像やそのプロセスを示す像、あるいは研究成果を示したポスターなどが展示され、薬師如来を研究するうえでの基本情報が示されている。

期間中はあの平成伎楽団もやってきて演奏会が開かれる予定です。資料館の周りの田圃はすっかり黄金色に色づき、刈り入れが進んでいます。

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2015年10月 3日 (土)

定年と年齢と責任

高校時代の同窓生と久しぶりに会った。2年前にあった東京在住の同窓生の集まり以来だ。元々、高校時代もそうだが、中学時代の同窓会にはほとんど出席したことがない。2年前の同窓会出席は自分としては相当思い切った決断だった。

60歳が目の前に迫っていた時期だ。60と同時に定年を迎える。これまで仕事(もしかしたら僕の仕事は研究とかと言った方が周りの人にはしっくりくるかもしれないが、自分としては仕事)に打ち込んで、友人を大切にしてこなかった。いや、相手に合わせる付き合い方をしてこなかった。だから友人も少ない。

これからでも遅くはない。自分を誘ってくれる人ともう一度友情を育もうと、思い切って同窓会に出た。そこで懐かしい面々に会うと、何もそこまで難しく考えずとも良かったと思えるように、旧友が温かく迎えてくれた。

その時に再開した友人のひとりと会った。会社の重役として長年働いてきた男だ。その彼が、退職を決断したと言う。彼の立場ならそのまま勤められる地位だが、いろいろ考えて辞めることにしたと言う。

急に訪れた体調不良がきっかけだそうだ。それまで思ってもみなかった体の不調に襲われ、仕事を続けるよりは退職を選択した。きっと彼も仕事に全てをかけてきた人生だったのではないかと想像する。その間のストレスが如何ほどのものであったか。

60歳という年齢が近づいたとき、長年のストレスに耐え切れずに、それまで一体であった体と心の調和が崩れたのかもしれない。60歳とはそういうものだ。先日会った日が会社勤め最後の日。その日に初めて、彼を通じてある会社の人を紹介してもらった。いわゆる人脈に頼ったと言うわけだ。

話が終わり、日本橋付近で別れた。ご苦労様。少し休んでから始めればいい。彼の背中を見送って、僕も反対方向に歩き始めた。


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