ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(2)
ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸は2014年に小日向一丁目東遺跡から出土した。
マンション建設に伴う発掘調査が行われた場所は、1646年から1724年にかけて切支丹屋敷があった場所の一角である。シドッチ神父は1709年から1714年までここに幽閉され、最後は1714年旧暦10月21日に地下牢で衰弱死したと言われている。
調査によって、発掘場所の北西の角付近に東西に並んだ三つの埋葬遺構(お墓)が見つかった。シドッチ神父の遺構が真ん中で、それを二つの遺構が挟む形である。真中の遺骸は、長持ちのような長くて大きな入れ物に体を伸ばした状態で埋葬してあり、西隣は桶を用いた屈葬、東隣は櫃などを用いて体を伸ばした状態であった。遺構の深さは3つ共に同じ深さであり、ほぼ同時期に埋葬されたことをうかがわせる。
出土した骨と歯の科学的な鑑定の結果、真ん中の遺構の人骨は身長170センチ台、現代ヨーロッパ人の中でもトスカーナのイタリア人のゲノムによく似ていることが判明。両隣の人物の切歯からは日本人に見られる特徴をもち、東アジアの集団に共通するDNAが見つかった。これらから、中央の遺骸はイタリア・シチリア生れのシドッチ神父、両側が彼から洗礼を授けられ、後にそれが発覚したために神父と共に地下牢で獄死した世話役の長助とはるであろうとの結論に達している。
切支丹禁教下にあっても、なお隠れて生き延びるキリスト教信者を司牧するため、;">シドッチ神父は命をかけて1708年10月11日にマニラから屋久島に上陸した。上陸後は直ぐに逮捕監禁され、新井白石による尋問を受けたことはよく知られている。シドッチ神父と白石はお互いの知性に共感し、尊敬したと言われている。
切支丹屋敷では宣教司牧というカトリック神父本来の活動を行わない限り、キリスト教徒の身のまま屋敷内で比較的自由な生活を許されたが、世話人の夫婦・長助とはるに洗礼を授けた罪で、最後は屋敷内の地下牢に監禁され、そこで死ぬことになる。
彼らカトリック信者がいなくなった後、いったい誰が身長に見合った長い長持ちのような器物に体を伸ばしたまま埋葬する西欧的なやり方を指示したのだろうか。西洋式のことが分からなければ、当時の丁重な埋葬は棺桶の中に遺体を屈葬する仕方である。さらに、シドッチ神父を守るように二人の信者が両脇に埋葬するような計らいも、誰かの指示によるものと思わざるを得ない。
切支丹屋敷にはすでにキリスト教徒が誰もいないにも拘らず、キリスト教式な埋葬を含む、丁寧な埋葬が行われたのはどうしてなのだろうか。三人とも罪人であることから、当時の慣習ではこのような埋葬は考えにくい。
命を懸けて司牧のために日本に渡り、逮捕され、世話人に洗礼を授け、獄中で死んだジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸がこの地上に存在し、それは調査によって本人であることが科学的にかなりの確率で証明されている。こんなことがあり得るのだろうか。何とも不思議なことである。カトリック信者として帰天したジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸を、日本のカトリック教団は身元引受人として丁重に受け入れてもらいたい。
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コメント
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私はカトリック信徒です。シドッチ神父さんの遺骨がつくば市に行けば見られると聞いたのですが、
つくば市のどこにあるのでしょうか?つくば市までは車で1時間半くらいで行かれますので是非行ってみたいのです。所属教会が文京区小日向の近くの関口教会ですので去年小日向へも行ってきました。教会で話題にもなっていないので残念に思っています。
シドッチ神父さんの遺骨のある場所を教えてください。
宜しくお願いします。
投稿: 湯下正子 | 2018年4月16日 (月) 11時54分
関口教会でも話題にならないのですから、他は推して知るべしですね。さて、筑波市に所在する国立科学博物館の研究施設は一般公開用の施設ではないため、上野公園にある国立科学博物館のような展示は行っていません。ただし、年に一度科博オープンラボというイベントがあり、私も昨年のイベントの中で遺骸を拝見することができました。ちなみに今年は4月21日と告知されていますが、残念ながら今年は遺骸の展示やトークはないようです。私も明確には存じ上げませんが、遺骸は施設内の収蔵庫内で大切に保管されているのではないかと推察します。一般的な見解ですが、遺骸を拝見するためには、特別な観覧許可が必要だろうと想像します。連絡先は下記の通りです。
〒305-0005
茨城県つくば市天久保4-1-1
国立科学博物館 研究推進・管理課
(代表)029-853-8901
投稿: 神庭信幸 | 2018年4月16日 (月) 14時53分