四人目の博士
我家のプレセピオには東方の博士が揃っていないと申し上げました。普通は三人の博士ですが、我が家のプレセピオは二人の博士です。でもこの他に四人目の博士がいるのを皆さんはご存知ですか。
それについて書かれたブログ記事を引用したいと思います。
『Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~ 気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)』(2009年12月24日 | 人生覚書き)より(http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f513b1b7f2eb3d85963b5b356b8c57e3)
イエス聖誕の際、東方の三博士がやって来て贈り物を捧げ、イエスを拝したという。(マタイ2:1~12)
この「博士」あるいは「賢者」と訳される「マーゴイ」(ギリシャ語:μάγοι、マギ)の原義は天文学者で、英語の「magic」(魔術)の語源となった言葉である。
聖書には東方から来た博士の人数は書かれていないが、「三人」とするのは黄金・乳香・没薬の3つの贈り物からとされ、それぞれ王権、神性、そして将来の受難である死を象徴するという。
西洋では7世紀からメルキオール、バルタザール、キャスパーの名がこの三博士に当てられている。(わかる人にはわかるネタ・・)
青年の姿の賢者・メルキオールが黄金を、壮年の姿の賢者・バルタザールが乳香を、老人の姿の賢者・キャスパーが没薬を贈ったとされる。
さて、それでは四人目の博士の話・・。
ペルシアのエクバタニアという町にアルタバンという男がいた。 彼はマギと呼ばれたゾロアスター教の学者のひとりであった。 ゾロアスター教徒は天文学者であり、善と光の探究者であり、信仰者であった。 アルタバンは仲間のマギに言った。 もうすぐ三人の博士たちと合流し、イスラエルに王として生まれると約束されたお方に会いに行くと。 持っているものを全て売り払い、アルタバンは三つの宝石を買った。 サファイア、ルビー、真珠であった。 それらを王様にお捧げするのだという。 そうしてアルタバンの旅は始まった。 ニムロデの丘で三博士と会い、七つの天球の寺院へ行くまで、あと10日しかない。 しかし、寺院の近くまで来た時、道に横たわって死にかけている男に出くわした。 アルタバンは男に水をあげて介抱すべきか、三博士たちに会うために急ぐべきかと考えた。 マギたちは、天文学者であると同時に医者であったため、アルタバンは足をとめた。 何時間もの間、病を治すことのできる腕のいい癒し人だけができる治療を行い、ついに、男は力を取り戻した。 アルタバンが急いで寺院に着いた時には、友の博士たちは既に去った後だった。 彼は仕方なくサファイアを売り、ラクダの列と食料を買って旅をすることにした。 彼がベツレヘムに着いた時、それはちょうどヘロデ王の兵士たちがベツレヘムの男子の赤ん坊を皆殺しにしていた時だった。 ある家のドアが開いていて、アルタバンには母親が子供に子守唄を歌うのが聞こえた。 その母親は、ベツレヘムに三人の博士が来てから今日で三日だという。 博士たちはヨセフとマリアと赤ん坊を探し出し、贈り物を足元に置いたそうだ。
そして、来た時と同じように不思議に姿を消したと。 ヨセフはその夜、マリアと赤ん坊を連れてひそかに逃げた。 それは遠く、エジプトへ・・とささやいた
その時、突然、外で何か騒ぎが起こった。 女たちが叫んでいた。 「ヘロデ王の兵隊が子供たちを殺している!」と絶叫する声。 アルタバンが外に出ると兵隊が血の滴る剣と血まみれの手で、こちらへなだれ込んでくるではないか。 隊長がこの家に差し掛かると、アルタバンが彼を止めた。 そして、ルビーをやるからこの親子を見逃してくれと頼んだ。 その後、アルタバンは、さらに王を探すためエジプトへ行き、この一足先にベツレヘムを去った小さな家族の行き先を探して回った。 33年の間、アルタバンは王を探し続けた。 その間、貧しい人々や病んでいる人々を助けた。 そして、ついに過ぎ越しの祭りの季節がくると、エルサレムに着いた。 エルサレムでは大きな暴動が起こっていた。 突然、兵士に引きずられてきた奴隷の少女が兵士から逃げ、アルタバンの足元に投げ出された。 最後の宝石、真珠を取り出し、彼は少女に渡した。 「これを手切れ金に。娘さん!これは、王にささげるためにもっていた最後の宝石だ」
アルタバンがそう言っているとき、大きな地震が起こった。 屋根瓦が彼を直撃した。 アルタバンは、死が近いことを知った。 もう王を探すことができない。 王を探す旅は終わりをつげ、彼は約束を遂げられなかったのだ。 手切れ金で自由になった少女が、この死にかけの老人を抱きかかえると、優しい声が聞こえ、アルタバンの唇がかすかに動くのが見えた。 「ああ、主よ。お会いしたいとお探ししましたが、お許しください。贈り物をお持ちしたかったのですが、今は何もありません」
「アルタバン、おまえは既にわたしに贈り物をくれたのだよ」 「神よ、どういうことですか・・?」 しかし、はっきりとした声がまた聞こえ、少女はそれを聞いた。
「私が飢えていた時、おまえは食べ物をくれた。 私が渇いているとき、おまえは飲み物をくれた。 裸でいた時、着るものをくれた。 家がなかった時、おまえは私を家に通してくれた」 「いいえ、そうではありません、救い主よ。 あなたが空腹だったところ、渇いたところを見たことがありません。 服を着せて差し上げたことも、家にお招きしたこともありません。 33年間、あなたを探し続けましたが、お顔を見ることも、お世話することもありませんでした。 わが王よ、お会いしたのは今が初めてです」
「いつでも、もっとも小さき私の兄弟たちにしてくれたことは、私にしてくれたのと同じなのだよ」 「聞こえたかい?イエスさまがおっしゃるのを。 王様を探しだしたんだ。 王様を見つけたんだ。
そして私の贈り物全てを受け取られたのだよ」 長い、安堵の息が、アルタバンの唇から静かにもれた。 彼の旅が終わった。 彼の宝物は受け取られた。 もうひとりの第四の賢者が王を見出したのだ。 王はこう言われる。
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25:40)
« クリスマスシーズンの味覚 | トップページ | 焼き芋にはまる »
「心と体」カテゴリの記事
- ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(2)(2017.04.25)
- ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(1)(2017.04.25)
- 四人目の博士(2016.12.12)
- 小野博柳さん(2016.09.25)
- 夏の景色(2016.09.12)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント