小野博柳さん
1998年4月、私は国立歴史民俗博物館から東京国立博物館へと職場を変えた。
14年間の歴博生活で培った研究成果を、是非とも国立博物館での活動に応用してみたかった。当時の私にすれば、その歴史の古さと組織の大きさから東博は何か得体が分からない巨大な密林のような印象に映っていた。
博物館での保存活動を軌道に乗せるために、何から手を付ければよいのか、直ぐにはわからない。なにぶんにもそれまで東博には縁もゆかりもない身の上である。
そんな状況の中でお会いした方が刀剣研磨師・小野博柳さんである。本館の地階の薄暗い部屋で黙々と刀剣研磨の作業を続けている人だ。職員ですら、ごく限られた人しかその作業場所には入ったことがなく、一見すると人の出入りを拒んでいるようにも見えた。
そんな中、いわゆる常識や慣習でものを考えないようにして、ずけずけとその部屋にお邪魔してみた。ご本人と話をすると、文化財としての刀剣研磨にかける思いがひしひしと伝わってくる。「僕らの仕事は磨によって刀を減らすことではない。先輩の磨を尊重し、文化財として相応しい状態の刀を維持することだ」と。
僕が、ゆくゆくはこの作業風景を館内職員はもとより、一般の来館者にも見ていただき、技術の継承や文化財保存の実態を知ってもらいたいと、怒鳴られるのを覚悟で小野さんに持ち掛けた。すると、小野さんからは意外な反応が返ってきた。
「私たちもこの仕事をもっと知ってもらいたいと思っている。決して神聖な場所でも、非公開な作業だなどとは露にも思っていない」と。それの日以来、小野さんとは息が合った。僕は勝手に同志だと思っている。
東博に千本弱の日本刀剣が収蔵されている。その維持管理には大変な労力を要する。手入れと言われる定期的な保守点検作業(メンテナンス)、そして必要最小限の磨継と呼ばれる研磨と白鞘の修理。これ等の作業を滞ることなく、日々流れるように進めていかなくてはならない。
その仕組みづくりに小野さんは尽力くださった。その小野さんが今月亡くなった。心からご冥福を祈ります。
最近のコメント