2017年6月11日 (日)

学芸員は癌か

文化財を観光資源として積極的に活用するのは結構だと思いますが、資源が消耗、劣化、枯渇してしまっては取り返しがつきません。バティカンのシスティナ礼拝堂の床は、急激な入場者の増加によって、摺り減りが加速していると聞いたことがあります。つまり、観光資源として大勢の人のアクセスを期待するならば、文化財に対する日々のケアが今以上に必須であり、そのためには財源の確保だけではなく、日々のケアを実践できる専門家を確保する必要があります。従来の学芸員だけで構成される博物館に、保存専門家が加わり協働することによって、持続可能な文化資源の活用が保証されることに繋がります。

多様な仕事に精を出し、忙殺される今の学芸員は、多様な仕事の一部でもシェア出来る相手が必要で、その中の筆頭が保存の仕事だと思います。今こそ声を大にして学芸員が主張すべきではないでしょうか。つまり、保存については保存の専門家(学芸員として在籍している場合もあり)に任せるべきだと。

観光で外貨を稼ぐ先進国は、観光資源の目玉である文化に対して相当な経費をかけ、公開と保存を実現していると聞いています。残念ながら日本はそうはなっていません。その経費の使い方が重要で、保存活動としては最終段階にある修理に経費を費やすよりも、より多くの経費を修理以前の日常管理のために費やしているのです。日常管理、別の言葉で言えば予防保存となりますが、それこそ持続可能な公開と保存を実現すると思いますし、普段から物を大切にすることの重要さを国民に気づかせてくれるはずです。

英国が日本と比較して桁違いの高額の財源を文化財の保存に向けていること、そのことによる保存専門家をはじめとする雇用創出の大きさ、そして最も重要な点として文化財がどれだけ守られているかをご存知でしょうか。こうした背景があればこそ、文化財を観光資源として気持ちよく活用できるのだと思います。今の日本のように、無策のまま文化財を観光の場に引き出せば、消耗劣化枯渇が生じるのは必至です。現に昨今発生している事件も、大きなリスクを抱えたまま、観光促進を図った結果だと考えられなくもありません。文化財活用の場において、圧倒的多数を占める学芸員がそのことを述べないで他に誰が言えるのでしょう。そして自分たちだけ責任にしてしまうことなく、今の文化財行政で保存分野の人材が圧倒的に少ない事が、いかに大きなリスクとなるかを述べていただきたいと思います。

観光資源化は事実上動き始めています。ですから、それに対応したリスク管理のあり方を求めたいと思います。国立博物館の独法化の時期を第1期とすれば、第2期の変革が必要でしょう。

政府や自治体は覚悟をして取り掛かっていただきたいと思います。山本幸三地方創生大臣の発言「一番のがんは学芸員。この連中を一掃しないと」(2017年4月16日)によって、さまざまな人々が述べた意見には、政府は言いたいことを言いうだけではなく、財源的なバックアップをしっかりと覚悟をもってして頂きたいとの思いがあるからだと感じます。

国立博物館が独立行政法人化される2001年、それと同時に東京国立博物館では保存修復課を設置しました。今から思えば、増大する展覧会や入館者、予防保存や修復の確実な履行、危機管理体制の整備、それらの情報公開などに対応するには、学芸員に多様な仕事を担ってもらうという従来型の考え方には限界があると考えた結果の動きだったでのでしょう。

ただ、設置の際の最大の問題は、保存修復課の保存専門職員は他の部署の人員を減らして配属されていることです。減らされた部署から見れば決してうれしくはなかったと思います。増員なしで内部努力だけで事を起こそうとすると、骨肉の争いまでとは言いませんが大変な思いをしなければならないのです。ただでさえ爆発的に増大する業務につぶされそうな状況で、そこまでして保存の専門家を増やせる施設が今の日本のどこにあるのでしょう。多くは望みませんが、専門家がしっかりと配属される社会を望んでいます。

保存修復課を立ち上げたころ、ワシントンナショナルギャラリーの友人が「マーケティングが大切だ」と言い残して帰りました。彼は、博物館あるいは保存の仕事が社会に受け入れられるように積極的に行動しなさいと言いたかったのだろうと思います。それまでの私たちは、社会に受け入れられるのをじっと待つ姿勢が強かったのでしょう。そこからいろいろな試みを始めた訳です。これが十分に効果を上げたかどうかは判断にお任せしますが、こちら側のモチベーションは大きく変わりました。それが第一段階で今も続いています。その後に第二段階の今話題の観光がやってきたのだと思います。マーケティングによって自分たちの態度を変革するだけではなく、大きく流動化する社会に対応できる能力そのものを私たちは積極的に獲得しなければならない時期に来ていると思います。

2017年6月 7日 (水)

博物館施設で資料の保存は誰が行うのか

NHKは博物館や美術館が保管する文化財がどの程度しっかりと管理されているかどうかを調べるために、国立と都道府県立、そして政令指定都市が設けた博物館や美術館など、245の施設に対して質問用紙を送り、76%に当たる186施設から回答を得た。(下記のアドレスからアクセス)

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0519.html

NHK から発送されたアンケートは三百館弱の施設で、その内の7割なので日本にある施設全体の数量から見れば極めて小さい数字です。しかし、もしも7割と言う割合が五千館とも言われる全国の施設の実態を示すとすれば、大変な状況で、危機的状態を とうに過ぎていると言っても過言ではないでしょう。

学芸員の仕事は多岐にわたっていますが、その中で保存という専門分野について、モノとしての最低状況判断を付けられる学芸員がどれくらいわが国にいるのでしょうか。また、日本以外ではどこの国にそのような学芸員がいるのでしょうか。仮にいたとして、その方々はどのような教育を受けているのでしょうか。

日本では、学芸員資格取得のための大学教育のカリキュラムの中で博物館資料保存論という勉強が義務付けられ、就職後は東京文化財研究所が実施する保存担当学芸員研修、あるいは文化庁の研修とかを通じて、保存の専門家の代わりに学芸員がその能力を身につけさせられていますが、実際上どの程度の効果があるのでしょうか。

日本ではいくつかの大学で保存修復コースが設置されていますが、それらの中でいくつかの大学は撤退を始めています。どんなに保存修復を専門的に勉強しても、いざ就職となると美術史や考古学、歴史学を専門とする人達がほどんど採用され、保存専攻の学生は就職先にほとんど繋がらないという現状では、大学としても持ちきれないでしょう。

学芸員は仕事と責任の増大で、保存について十分な対応ができかねる状況もある中、大学で教育を受けた保存修復の専門家の卵は行き先がほとんどなく、挙げ句の果てに大学がこの分野の教育から撤退し始める。何ともやるせない矛盾が生じているのです。

2017年5月20日 (土)

日本経済新聞朝刊コラム「美の十選」

2017年4月6日から4月24日まで、日本経済新聞朝刊の最終ページに10回にわたるコラムを連載しました。

「美の十選」という定番のコラムで、人気があるコーナーということだ。執筆者それぞれの内容によって、表題は変わり、今回の自分のコラムは「よみがえる実像 十選」としました。

4月6日の第1選  高橋由一「宮城県庁門前図」(宮城県美術館)

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地塗りの中に見られる石灰質ナンノプランクトン

4月7日の第2選 重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」(神戸市立博物館)

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顕微鏡で拡大して見える頭光の線。黄色の線の下に濃緑色の線が残っている。

4月11日の第3選 荻原守衛「重要文化財 女」(東京国立博物館)

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ブロンズ製作に関わった面々。前列右が鋳造を担当した故橋本明夫(当時教授)。

4月13日の第4選 ヤーコブ・ヨルダーンス「ソドムを去るロトとその家族」(国立西洋美術館)

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天使の赤い衣の部分のクロスセクションを透過光で観察すると、ルーベンス作品の場合は絵具の塗り重ね回数が少なく、したがって断面が極めてシンプルな層である。

4月14日の第5選 重要文化財 白練緯地松皮菱竹模様小袖」(東京国立博物館)

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修理前の状態。修理後は袖の長さ、身幅を大きくした。

4月17日の第6選 ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(ルーブル美術館)

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作品を輸送してきたエアバス社の大型貨物機ベルーガから格納容器を降ろす様子。

4月18日の第7選 重要文化財 紙本著色聖母子十五玄義・聖体秘跡図」(京都大学総合博物館)

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被聖天のマリアの部分を近赤外線で撮影すると、彩色の下から見事な墨線が現れた。筆の使い方から、日本人絵師のものと考えて間違いないだろう。

4月20日の第8選 立原位貫「渓泉斎英泉作 今様美人十二景 おてんばそう 深川すさき弁財天」(アルテ・ビンクロ位貫蔵)

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立原位貫さんの自叙伝。スタートはジャズマン。

4月21日の第9選 海保オルガン社製「リードオルガン」(陸前高田市立博物館)

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東京国立博物館本館大階段で行われた天に響けの録音。

4月24日の第10選(最終回) 狩野永徳「国宝 檜図屏風」(東京国立博物館)

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修理は絵具の剥落止めから開始。

2017年4月25日 (火)

ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(2)

ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸は2014年に小日向一丁目東遺跡から出土した。

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マンション建設に伴う発掘調査が行われた場所は、1646年から1724年にかけて切支丹屋敷があった場所の一角である。シドッチ神父は1709年から1714年までここに幽閉され、最後は1714年旧暦10月21日に地下牢で衰弱死したと言われている。

調査によって、発掘場所の北西の角付近に東西に並んだ三つの埋葬遺構(お墓)が見つかった。シドッチ神父の遺構が真ん中で、それを二つの遺構が挟む形である。真中の遺骸は、長持ちのような長くて大きな入れ物に体を伸ばした状態で埋葬してあり、西隣は桶を用いた屈葬、東隣は櫃などを用いて体を伸ばした状態であった。遺構の深さは3つ共に同じ深さであり、ほぼ同時期に埋葬されたことをうかがわせる。

出土した骨と歯の科学的な鑑定の結果、真ん中の遺構の人骨は身長170センチ台、現代ヨーロッパ人の中でもトスカーナのイタリア人のゲノムによく似ていることが判明。両隣の人物の切歯からは日本人に見られる特徴をもち、東アジアの集団に共通するDNAが見つかった。これらから、中央の遺骸はイタリア・シチリア生れのシドッチ神父、両側が彼から洗礼を授けられ、後にそれが発覚したために神父と共に地下牢で獄死した世話役の長助とはるであろうとの結論に達している。

切支丹禁教下にあっても、なお隠れて生き延びるキリスト教信者を司牧するため、;">シドッチ神父は命をかけて1708年10月11日にマニラから屋久島に上陸した。上陸後は直ぐに逮捕監禁され、新井白石による尋問を受けたことはよく知られている。シドッチ神父と白石はお互いの知性に共感し、尊敬したと言われている。

切支丹屋敷では宣教司牧というカトリック神父本来の活動を行わない限り、キリスト教徒の身のまま屋敷内で比較的自由な生活を許されたが、世話人の夫婦・長助とはるに洗礼を授けた罪で、最後は屋敷内の地下牢に監禁され、そこで死ぬことになる。

彼らカトリック信者がいなくなった後、いったい誰が身長に見合った長い長持ちのような器物に体を伸ばしたまま埋葬する西欧的なやり方を指示したのだろうか。西洋式のことが分からなければ、当時の丁重な埋葬は棺桶の中に遺体を屈葬する仕方である。さらに、シドッチ神父を守るように二人の信者が両脇に埋葬するような計らいも、誰かの指示によるものと思わざるを得ない。

切支丹屋敷にはすでにキリスト教徒が誰もいないにも拘らず、キリスト教式な埋葬を含む、丁寧な埋葬が行われたのはどうしてなのだろうか。三人とも罪人であることから、当時の慣習ではこのような埋葬は考えにくい。

命を懸けて司牧のために日本に渡り、逮捕され、世話人に洗礼を授け、獄中で死んだジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸がこの地上に存在し、それは調査によって本人であることが科学的にかなりの確率で証明されている。こんなことがあり得るのだろうか。何とも不思議なことである。カトリック信者として帰天したジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸を、日本のカトリック教団は身元引受人として丁重に受け入れてもらいたい。

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ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ神父の遺骸(1)

国立科学博物館の研究施設と標本収蔵施設は、上野と白銀台にある展示施設とは別に、つくば市の研究学園都市の一角にある。毎年この時期、つくばの研究施設ではオープンラボを開催して一般に開放している。今年は4月22日に開催された。

植物研究部、地学研究部、動物研究部、人類研究部、理工学研究部など、いろいろな部門の研究室や収蔵庫を研究者たちが総出で紹介してくれる、年に一度のイベントだ。

研究紹介スペシャルトークという企画の中に、今回特に興味をひかれた題目があった。それは人類学研究部・坂上和弘さんによる「江戸の宣教師シドッチ神父について」(12:30~13:00)である。そのスペシャルトークを拝聴しに出かけた。

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シドッチ神父が日本に遺したもので有名なものは、上記の写真に示す東京国立博物館が所蔵する「親指のマリア」だ。薄い銅板に油絵の具で描かれ、大きさが縦約26センチ、横約21センチの小さな絵だ。銅板の油絵は持ち運びに便利であるため、大航海時代に沢山制作され、宣教師と共に世界各地に運ばれている。「親指のマリア」の他に東京大学が所蔵する「救世主像」も銅板に描かれた油絵だ。

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「親指のマリア」は、シドッチ神父の尋問にあたった新井白石が著した「西洋紀聞」の中に、シドッチ神父との対話から聞き出した諸外国のさまざまな知識と共に、図入りで紹介されている。

目黒区の碑文谷にある碑文谷教会、通称サレジオ教会は、『江戸のサンタマリア』にささげられた教会だ。江戸のサンタマリアとは日本に上陸するとすぐに捕縛され、江戸茗荷谷にあった切支丹屋敷に生涯幽閉されたシドッチ神父が携帯していた「親指のマリア」のことだ。1954年に、西洋紀聞の差し絵をヒントに製作された当時の形を模した額縁が碑文谷教会から東京国立博物館に寄贈されている。

2017年4月24日 (月)

ヤマガラちゃん

この冬、葉が落ちた冬枯れのハクモクレンの枝に鳥の巣がぶら下がっているのが見つかったことを、昨年の12月7日付けのブログに書きました。

その巣はヤマガラのものではないかと推測していますが、確たる証拠はありません。なぜそのように推測するかと言えば、昨年の夏から秋、冬にかけて数羽のヤマガラ、シジュウカラがしばしば庭を行き来し、隣のえさ場でもらったヒマワリの種を我が家の庭でゆっくりと食べる姿を幾度となく目撃しているからです。我家の庭が安心できる場所だからひっきりなしに来るのではなかろうかと思っています。つまり故郷だと。

お隣のえさ場にはもうひまわりの種は置いてありませんが、ヤマガラたちは餌を求めて相変わらずやってきます。お隣は野鳥好きのご夫婦で、自然環境的配慮から野鳥を森に返すために、餌やりを止めておられるのです。

そしてとうとうその時が来ました。4月21日金曜日の朝8時頃、やってきたヤマガラに気付いた私は、好きかどうかわからない朝食のミューズリーを手に載せて、そっと差し出しました。するとどうでしょう。少しづつ近づいてきて、とうとう手のひらに乗ったのです。それも一瞬ではなく10秒くらい。

その時の感激は何とも言えません。柔らかな足の爪が私の皮膚を握り、くちばしの先で指をつつくようなしぐさは、ミューズリーではなくてひまわりの種だとでも言っているのでしょうか。この瞬間、この子は我が家の庭で生まれた子だと確信しました。(本当かどうかはもうどうでもいいかな)

ちなみにミューズリーは乾燥した穀物やフルーツをミックスしたもので、牛乳などをかけて食べるので、ちょっと硬いかもしれません。

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焼き林檎

薪ストーブで焼いた薩摩芋の美味しさに衝撃を受けた話しは依然しましたが、今度は林檎を焼いてみました。

真横に半分に切った林檎を磁器製の小さな器に入れ、上からアルミホイルを掛けて、芋と同様に薪ストーブの灰をためるトレーの中に並べます。上で燃えている薪の温度にもよりますが、待つこと数時間、トレーから林檎の入った器を取り出して、ホイルを開けると、美味しそうに焼けた林檎が姿を現しました。果肉から出てきた濃縮されたたっぷりの果汁に漬かっています。

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トレーの場所によって焼け方が若干異なり、色味が少しづつ違います。それと、身のちじみ方も違ってきます。一番景色の良い焼き林檎が下の写真です。焼き加減、色合い、透明感がぴったしです。

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手製のロースハムと生野菜に焼き林檎、そして焼き里芋を添えた朝食プレートの出来上がりです。

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菜切り包丁

1981年から使い始めた木屋の菜切り包丁を、36年ぶりに新調しました。

その間、いろいろな包丁を使いましたが、木屋の包丁が一番使いやすく、そして壊れることがありませんでした。別の菜切り包丁はなかごの部分が錆びて、口金のところで折れてしまいました。(決して木屋から宣伝料は頂いておりません)

木屋の包丁は口金の部分が水牛の角製のためか、握るところの柄の部分、柄の中に隠れているなかごの部分が朽ちることがありませんでした。

刃の部分が丸まったような菜切りは東型で、漫画などでお婆ちゃんが包丁を振り上げて追いかける場面など、この東型の包丁がよく登場します。刃が角ばったものは西型です。我が家は西型に馴染んでいるため、新調した二代目も西型にしました。丁寧に使えば、おそらくこの包丁一本で残りの人生を全うできるかもしれません。

写真の上が36年間使用した包丁で、刃が随分と擦り減っています。下が今回新調した包丁です。大切に使い続けます。

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2017年4月23日 (日)

退職のご挨拶 Greetings of my resignation

拝啓 春陽の候 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます  

さて 私こと 三月末日をもちまして東京国立博物館を退職いたしました
平成十年以来 十九年間の永きにわたり無事勤務できましたことは ひとえに皆様のご指導の賜物と深く感謝いたしております
今後はこれまでに培った経験と人脈を生かし フリーランスの立場から美術・文化の保全に少しでも貢献できますように日々努めてまいりたく存じます
これからも一層のご指導とご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます
略儀ながらお礼かたがたご挨拶申し上げます 敬具

Dear my precious friend,

I am writing this to inform you that I have left the Tokyo National Museum on March 31, 2017. I express my deepest appreciation for your support and friendship. I really enjoyed working with you and your stuff. I want to contribute to the conservation of cultural assets as a freelance conservator afterward. Again, thank you very, very much from the bottom of my heart. I hope you much success in your research and business, and take good care of yourself

2017年2月 9日 (木)

焼き芋にはまる

11月から続いた体の不調からここに来てやっと持ち直した気分です。しばらくは記事を更新するのもだるい状態で、長らくお休みをしましたが、やっとペースを取り戻しました。

日曜日のお昼、必ず焼き芋屋の車が拡声器で叫びながらやってきますが、今年はどういう訳か買う気が起こらぬまま、見送っています。昨年までだったら、玄関先で待ち構え、千円分ほど買っていたのですが。

今は焼き芋作りにはまっています。2月に入ってからストーブの余熱を使って、試しに焼いてみたところ、その美味しさに魅了されてしまいました。

朝から夕方までは燃えた薪でできる熾き火だけで、ストーブは何となくほんわかと温まっているのですが、その時に灰を受けるトレーの中にサツマイモや里芋、ジャガイモをころがして、そのままストーブの扉を閉めればOK。

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熾き火の火加減にもよりますが、1時間ほどで焼きあがります。表面の皮は焦げてはいませんが、中の実にはしっかりと十分に遠赤外線が当たり、ほくほくの焼き芋が出来上がります。里芋も茹でるのとは違って、また趣のある美味しさになります。

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2月は「紅はるか」が最盛期とかで、八百屋には所狭しと並んでいます。紅はるかはねっとり系の芋ですが、遠赤外線でじっくりと焼けた実は適度に水分が抜け、蜜の甘さが凝縮して、夢のような味になります。

この分だと、もっと蜜が多い「安納芋」でなくてもいいかもしれません。ホクホクとした感じが好きな場合は「紅あずま」です。もう少しすると紅あずまが出回るそうなので、楽しみに待ちます。

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    海鳥社 2012 日本設計の池田武邦さんがハウステンボスの設計にかけた情熱とその源泉について、ドキュメンタリー的に記されている。茅葺に興味があったので手に取ってみたが、ハウステンボスの設計思想とその実態について初めて知ることが多く、ぜひ一度行ってみたくなった。
  • ★ヨースタイン・ゴルデル著 猪苗代永徳訳: 『オレンジガール』
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  • ★籔内佐斗司: 『壊れた仏像の声を聴く 文化財の保存と修復』
    一緒に仕事をする機会には恵まれませんが、いつも気になっている方が仏像と修理について書き下ろした本です。
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    恐竜研究の第一人者・真鍋真氏が監修した絵本。絵本と言ってもかなり高度な内容です。生命のバトンタッチを分かりやすく描いたもの。
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    美術品梱包輸送技能取得士認定試験の制度が始まって4年が経ちます。認定試験を受ける人のための教科書であるとともに、美術品の展示、輸送に携わる人々にもとても役立つ本です。
  • ★ケヴィン・ヘンクス著 多賀京子訳: 『マリーを守りながら』
    自分にも娘がいるが、少女のころの彼女の気持ちを理解、解りあえることは難しかった。父親と幼い娘の間の気持ちの揺らぎを描いた作品。
  • ★藤沢修平: 『三屋清左衛門残日記』
    60歳で定年後、特任研究員として再雇用された時、これから先の時間を如何に過ごすか想像できなかったとき、ご隠居という言葉を理解しようと思って読んだ本。
  • ★ローズマリ・サトクリフ著 灰島かり訳: 『ケルトの白馬』
    イギリスの山肌に描かれた巨大な白馬の絵。その起源を求めて太古の物語にヒントを得て描かれた本。敵に滅ぼされた部族に生き残ったわずかな人々が新天地に旅立っても、彼らの先祖が馬乗りの名手であったことを地上に永遠に刻み込むために、敵方のために描いた白馬。
  • ★K.M.ベイトン著 山内智恵子訳: 『駆けぬけて、テッサ』
    血統には恵まれてはいるが、視力に問題を抱えたサラブレッド・ピエロとともに、自分の道を懸命に探し続ける少女テッサが苦難を後超えて、グランドナショナルで勝利をつかむ物語。馬の心理描写が素晴らしかった。
  • ★夢枕獏: 『大江戸恐龍伝』
    真友の立原位貫さんが装幀と各巻扉絵を描いています。